Aug 15, 2008

さくらんぼん

お盆真っ只中の日本、我が家は帰省するわけでも墓参りするわけでもなく、店の中から外を眺め、前の道路が混んでるなぁ、と思いに耽るだけ。でもせっかく(?)だから、既に他界している母でも偲んでみようかな.....。

困った人だった。感情の塊のような人だった。子供心にも『やれやれ~』と思ったことは数知れず。超生真面目で常識人だった父とは対照的に、全て感情で物事を判断し突き進む人だった。おかげで両方の血を受け継いだ私は、生真面目に感情で動く人間になってしまった。

やり手でもあった。
パートで勤め始めた名古屋の老舗デパートの中の超有名ブランド店で、売り上げがいいからと正社員として雇用され、果ては全国売り上げナンバー1で度々表彰され、給料も鰻上りだったようだ。そんな頃、勤め始めて間も無いサラリーマンだった私の僅かな給料を聞いて、『大学出てもそんだけなの?』と鼻で笑っていた。母のそんな無神経なところが嫌いで、喧嘩しては数年間音信不通となることが度々あった。親しい友人や親戚からは、見た目が瓜二つとよく言われていた。腹立たしい母親だっただけに、そう言われるのはあまり嬉しくなかった。

「千枝里(ちえり)」と言う当時の人には珍しい、本人もお気に入りのシャレた名前で、私に送る手紙の裏には名前を記さず、決まって「さくらんぼ」のイラストを描いていた。「ちえり」→「チェリー」→「さくらんぼ」と言う訳だ。

癌で早くに亡くなった時、ありきたりの白い着物で棺おけに入るのを嫌がり、おあつらえのレースがヒラヒラ付いた、クリスチャンディオールのシルクのピンク色のネグリジェをまとった。まったく、最後まで母らしい.....。

今、鎌倉で私がお店を開業していることは知らない。
この売り上げだと、また鼻で笑われるんだろうなぁ....。

まだ私には「チェリー」は高価で、手が届かない