May 28, 2011

旅の空


旅をしなくなった。
正確に言えば、日々の生活が忙しくてできなくなったのだが、以前より旅を渇望しなくなった。

元々自分の旅のスタイルは、観光と言うよりはショートステイのような感じで、現地の人の目線で、現地の普通の生活を味わうのが醍醐味だった。だから近くに有名な観光地があっても行っていなかったり、名物料理に舌鼓もほとんどなく、現地の人で賑わう三流食堂やスーパーで普通にお惣菜を買って食べたりしながら、『うまい!うまい!』と大喜びをしていた。

そんな旅のスタイルだったから、名所旧跡巡りだけの旅行に比べれば、ずっとその町のことを知った気でいた。偉そうに人にそれを誇示することはなかったが、観光旅行の人が旅先のことを我が物顔で話している姿には、辟易していた。しかし、そんな自分も、やっぱり旅人でしかなかった。

旅人は所詮旅人だ。
これほど無責任な立場はない。
どんなに貧しい国で住民が困っているように見えても、実はそうではなかったり、逆に非常に裕福で平和で居心地が良さそうな国でも、裏では多くの人が泣いていたりする。長くても1週間や1ヶ月くらいしか居ない旅人には、その実情はわからない。それを一面だけ見て『かわいそうだ!助けてあげなきゃ!』とか『なんて良い国なんだ!』とか言うのはおこがましい。

もちろん、旅を全否定しているわけではない。行ったからこそわかるその国の様子や人情、また外から眺める日本の長所短所など、旅を通して学ぶことは多い。しかし、それが全部ではないこと、ほんのほんの一部であることを、常に肝に銘じる必要がある。そして良い旅をするためには、日本での日々の暮らしを如何に一生懸命行うか否かだ。

足下を見ないで遠くの空ばかりを眺めていては、いつか転んでしまう。足下をしっかり見て、それでももし転んでしまったら、遠くの空を眺めてまた立ち上がればいい。旅と生活との関係は、私にとってこんな感じかもしれない。

忙しい今は、遠くの空に思いを馳せながらも、今ここにある大地を一歩一歩踏みしめて歩く。もう一歩、あと一歩。

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May 11, 2011

生と死と


デジャヴュ、既視感という感覚があるが、チベット仏教の輪廻転生で説けば、これほど簡単なものはない。しかし、科学的には単なる「記憶異常」として処理されてしまう。最近、今更ながらだが、「チベット死者の書」を読み始めた。日本ではテレビ放映され、良くも悪くも有名な話だが、そうなるとテレビ的にイメージを植えつけられてしまいそうで読みたくなくなり、しばらく敬遠していた。ところが、先日偶然図書館で見かけ、手に取って最初のくだりを読んで引き込まれ、チベット仏教を語る上でやはり一度目を通しておかなければと思い、改めて読むことにした。

時間が無くてまだまだここで語れるほど読んでいないが、科学で証明できないものは虚であるという現代の考え方が、科学では割り切れない現代人の心を蝕んでいる、という解説には、これまで心を病んだ多くの人々を見てきて、納得が出来る。人間は、そんな単純なものではない。

死を考えることは、真剣に生きることに繋がる、とも書かれていた。未曾有の大震災で親しい人が亡くなったりなど、死を間近に感じて、今ここで平和に暮らしていることが、ある意味奇跡と思った人もたくさんいることだろう。こういう形で知ることになったのは残念だが、全く分からないまま無為に送る人生よりは、ずっと有意義だったかもしれない。

若くして癌で亡くなった母は、死期が迫る恐怖とどのように折り合いをつけていたのだろうか?癌で余命半年を宣告されながらも、何とか元気に1年を過ごしたお客様。藁をもすがる心情を吐露しながらも、今も格好良く生きている。死の恐怖を克服できたのだろうか?

この本の中に、何か良いヒントがあるといいな、と思っている。

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