Jan 27, 2009

頑張らんといかんがね

今朝NHKのニュースで、私の故郷名古屋で「金のタクシー」が話題になっていることが紹介されていた。なんでも1台しか無いためめったに街中で見られないことから、偶然目にした人はご利益があると噂されているそうだ。金のタクシーを拝む人達など、なんとも名古屋らしい。

高校を卒業して大学で関東に出て来て以来、全く名古屋に寄り付かず、もうすっかり名古屋弁も出てこなくなった(たぶん)。普段も全く名古屋のことを意識していないが、こういった話題で街中がテレビ画面に映ると、やっぱり見入ってしまう。高校までの一番やんちゃな時期を過ごした街は、やはり脳裏から消えることは無い。

大学進学のため名古屋から旅立つ日、単身赴任中の父は家におらず、共働きの母は仕事に出ていて、誰一人見送ってくれない我が家らしい旅立ちだった。50過ぎのおばちゃんが一人で経営している「赤帽」の軽トラックを利用し、交通費と引越し費用を浮かすためその助手席に座って一緒に旅立った。おばちゃんにも同い年位の子供がいるらしく、途中のドライブインでご飯をご馳走してくれたり、飲み物を買ってくれたりと母親のように親切にしてくれ、引越しが全て完了しておばちゃんが帰る時には、既に別れた実の母親よりも寂しい思いをしたのを憶えている。

大学を卒業し東京での就職が決まっていたが、5月からの採用だったため一旦名古屋へ荷物を持っていくことになり、ここでも引越し費用を浮かすため、大工をしていた寮の大家さんのトラックを借りて、今度は自分で運転して帰った。車の免許を取得してわずか3日目という向こう見ずな計画にもかかわらず、大家さんは何も言わず貸してくれ、その恩に報いるべく道中細心の注意を払って安全運転を試みた。結果、行きは大雨だったにもかかわらず無事故無違反を達成し、帰りもあと40分くらいで大家さんの家に到着~!というところまでは何も無かった。...... そう、そこまではね。そこでガソリンが少ないのに気がつき、やめときゃいいのに最寄のガソリンスタンドへ寄り道し、しっかり後ろの車にガッシャ~ン。...... ね、ドラマみたいでしょ?この後大家さんにすぐ電話して、優しい言葉に残りの道中半ベソで運転したのは言うまでもない。

いつもいろんな人に助けられて、大きな事故にならずにここまで来た。そう言えば鎌倉に引っ越して来た時も........ そろそろお時間ですね。この続きはまた今度。

皆さん、いつも色々お世話になっております。
何とか元気に暮らしております。
いつか恩返しができる時まで、もう少し待っていて下さいね!
千なり~♪♪

Jan 23, 2009

老梅

この黄色の花は「蝋梅(ろうばい)」と言って、花びらが蝋細工のようなことからそう呼ぶらしい。店の裏に住んでいて数ヶ月前に施設に入所したおじいさんが、自宅へ荷物を取りに帰ってきた際に庭のこの梅の木を折って持って来てくれた。花などの植物の名前に疎い私、おじいさんの口から「ロウバイ」と聞いた時、頭に浮かんだ字は「老梅」、もう少しでこの言葉を口にするところだったが、おじいさんが花の説明をし始めたので恥をかかないで済んだ。

「老」という字は日本語ではあまりいいイメージは無いが、中国語では尊敬や親しみの意味を込めて多用される。「老板」「老公」「老婆」「老家」..... 例を挙げれば切が無い。日本の漢字も元を辿れば中国から、きっと以前は同じような意味合いがあったかもしれない。

鎌倉はいわゆる「老人」が多い。しかし皆元気で、博識で、そして優しい。夫が私の使いで郵便局やらチビを連れて公園へ行くと、優しく声を掛けてくれるのはいつもお年寄りの方。夫のヘタクソな日本語に一生懸命付き合ってくれたり、やんちゃなチビにお菓子をくれたり、これらの親切は全てお年寄りの方からで、長く生きてきた方は懐が深い。

中国語で「妻」を意味する「老婆(ラオポー)」、中国へ行けば私にも「老」の字が付く。この場合の「老」には日本語の「老人」的な意味は無いと言うが、博識で優しい「老人」と同じ「老」なら、ありがたいことだ。

そんなことを考え始めたら、「蝋梅」よりも「老梅」の方が素敵に見えてきた。
優しいおじいさんがくれた「老梅」、うちではこっちにしておこう。

Jan 19, 2009

原点回帰

気だるい朝にモンゴルの音楽を聴いていたら、無性に旅に出たくなった。以前は年3回は日本を脱出してエネルギーを充填していたが、開業するとそうはいかない。自分で選んだ道ではあるが、たまに爆発しそうになる。

モンゴルを旅した時は、旅行者用ではない、本当の遊牧民が住むゲル(モンゴル式テント)にホームステイをさせてもらった。朝5時前には皆と一緒に起きて、牛のミルクを絞ったり、燃料の糞を集めたりと、9月中旬ではあったが凍えるような寒さの中、初めてずくしのこの作業を楽しんでいた。昼間はホームステイ先の旦那さんも奥さん(トヤさん)も放牧に出掛けてしまうため、2歳のやんちゃ坊主をいじめる以外は取り立ててやることが無く、ひたすら歩いていた。適当な山を見つけてはそこまで歩き、山の頂上で一休み。眼下に広がる草原を眺めながら、風を全身で浴び、空と大地の大きさを身体で感じ、贅沢な時間を過ごしていた。ず~っと座っていたかったが、風が冷たくてじっとしていられず、しばらくしてまた別の山を目掛けて歩いた。

しばらくすると、ホームステイ先のゲルの煙突から煙が上がっているのが見えた。トヤさんが帰ってきて、何か作っている合図だ!まるで学校帰りの子供が、台所で炊事をするお母さんを目掛けて走っていくように、山の上からゲル目掛けて一目散に駆け下りて行った。案の定、トヤさんがおいしいおいしい揚げ餃子を作っていた。日本ではあまり揚げ物を好んで食べる方ではない私だが、こういうところでのこの手の食べ物は本当においしく、文字通りバクバク食べた。

こういうところにいると、人間の原点に帰ることができる。家族が食べるため、子供を育てるために働く。今の日本では、仕事は自己実現の場だとか、趣味の延長だとか、基本は「自分」になる。これはある程度の生活が保障された上での話で、食べていけなければ話にならない。仕事が選べるということは、豊かさの象徴でもある。しかし、「自分」のためというものは、結構もろいものだ。「自分」が「もういいや!」と思うと、簡単に止めてしまうからだ。しかし家族のため、子供のためとなると、そう簡単には諦められない。そこに強さが出てくる。朝から晩まで働き続けた両親と、その両親に大切に育てられているやんちゃ坊主、夜ゲルの中のろうそくの灯りで照らされた3人の笑顔を見て、しみじみと感じていた。

今夜は久々に、トヤさんの揚げ餃子でも作ってみようかな~。

Jan 17, 2009

せっせせっせ

朝、シャワーを浴びてメイクを始めると、決まってチビが椅子の上の私の膝に乗ってくる。別に甘えに来る訳ではなく、普段チビが悪戯しないよう厳重に閉めてある鏡台の蓋が、この時だけ解禁されるからだ。色んな形のボトルやケース、色とりどりのパレットや鉛筆など、鏡台の中はチビにとってまるでおもちゃ箱のようで、次から次へと引っ張り出しては中を開け、私に怒鳴られて元に戻す..... の繰り返しだ。何度も膝から降ろそうと試みたが、ネバっこい足を私の身体に絡ませて離れない。相手にしているとドンドン時間が過ぎてしまうため、適当にあしらいながらメイクをするようになった。しかし、このチビの悪戯はその日の私の顔に大きく影響する。例えば、眉をペンシルで描いている時に悪戯をされると眉尻が上がったり、チョットかわいらしいことをされると眉尻が下がったりと、鬼顔になるか福顔になるかは全てチビ次第だ。そう言えば小さい頃、同じように母親が化粧をしている脇で悪戯をして怒られ、『あんたのせいで今日は怒った顔になっちゃったじゃない!』と言われたことが度々あった。同じセリフが自分の口から出ていることに気が付き、そっと一人苦笑いをしてしまった。

母は若くして結婚した上に普段から身なりもオシャレに着飾っていたため、同級生のお母さん達に比べると確かに綺麗だった。しかし子供心にそんな母親よりは、当時のホームドラマの定番の、チョット小太りで着物を着て割烹着を身に着けている母親像に憧れていたため、母親のこの容姿はあまり好きではなくむしろがっかりしていた。それでも『綺麗なお母さんで良かったでしょう?』と自画自賛しながらせっせせっせと化粧に励んでいる母親を見て、自分だけはこうなるまい、と固く心に誓ったものだった。

そんな母親も、癌で60歳そこそこで亡くなった時、身体を拭いてくれた病院の看護婦さんから『お母さん、いつも綺麗にしていたから、最後も綺麗にしてあげないとね。』と言われた。相変わらず病院でもせっせせっせとやっていたようだ。死化粧は、普段化粧をあまりしない姉に代わって私がやった。看護婦さんが用意してくれた化粧セットで顔に色を足していくが、なかなかうまくいかず段々ケバい顔なってしまい、『そんな顔だとお母さんに怒られるわよ~!』と看護婦さんに言われてやり直した。一応それなりの顔になり、レースひらひら~の死装束で三途の川を渡った母は、あっちでもせっせせっせとやっているのだろうか?

すっかりメイクの順番を覚えてしまったチビは、次に私が使うものを手渡してくれるまでになった。
私が死んだ時の死化粧は、確実にこの子だな。
最後の仕上げはパープルでお願いね~♪

Jan 15, 2009

妄想カフェ

何だかバタバタしている間に、年明けから2週間以上が過ぎていた。今年に入ったらやりたいと思っていたことが、昨年からの延長でやっていることがまだ終わらず、なかなか着手できない。以前勤めていた職場でよく後輩達に『(やりたいことがあるなら)早くしないと死んじゃうよ!』といつも言い放っていたが、まさにその心境。早く、早く..... と自分で自分のお尻をたたいている。

昨年から引き継いでやっていることの一つが、税金の申告関係。むしろこれからが本番なのだが、棚卸し等その補助資料を昨年度末から作り始めてまだ終わらない。「棚卸し」はバイトなどで経験したことがある方はご存知だろうが、12月31日付けで店に売れ残った全商品の数と金額を明らかにすること。うちの店の場合だと、石1個からその対象となる。これをきちんと表にして、申告の際に昨年度分の仕入れ値から差し引いて純利益を出すのだが、これが非常に面倒臭い。ひたすらひたすら数えていくだけのため、すぐに飽きてしまう。うちのような小さな店でこれなんだから、大きな店では大変なんだろうなぁ~、といらぬ心配をして手を止める。仏画とシルバーは終わったが、一番面倒な天珠や天然石が残っている。あぁ~メンドクサイ。

チベットでそれなりに旅行関連のビジネスをしていた夫だが、これまで税金と言うものを払ったことがない。中国では大きな会社に勤めている人ぐらいしか払わないそうで、うちのような規模の個人商店ではまず払うことはないと言う。そのため日本の税金や年金に対して理解がなく、稼いでも稼いでもお金が右から左に流れて行き、私が資料作りのため夜遅くまで残業しているのを見ると、『お前は税金のために働いているのか!』と喧嘩の火種になってしまう。しかし、こればっかりはしょうがない。理解できない気持ちもわかるし、やらなきゃいけない状況からは逃れられない。せっかく(?)なので売られた喧嘩は買っといて、ドンパチの後は再びひたすらムシムシコツコツやるばかり。

初申告が無事終わったらどうしようかなぁ~?
一人スタバで祝勝会でもあげようかなぁ~?
久々にシナモンロールなんてがっついちゃったりして~?
常連のあの子誘ってガールズトークを延々と~?
....... いかん、いかん、また気がそれてしまった。

Jan 9, 2009

もう1回

所によってはみぞれまじりの冷たい雨模様の鎌倉、おかげであまり喜ばしいことではないが、ブログがゆっくり書ける。ちょうどここで、BGMに流していたラジオからMr.Childrenの「HANABI」がかかった。ミスチルは全く私の音楽の趣味に合わず、これまで好んで聞いたことは一度もない。あのまったりとした歌声と曲調が、どうも好きになれない。しかしこの曲だけは、なぜか心に留まっている。

年末のテレビ番組で歌番組が多くなっていた頃、歌番組は映画以外で夫が楽しめるTV番組のひとつのため、自然と選んで見ているうちにこの曲と何度も出会った。『もう1回~もう1回~~♪♪』のフレーズが繰り返し流れるため、日本語がわからない夫もなんとなく覚え、テレビに出てくる度に『またもう1回だ!』と言うようになり、私の方はミスチルの曲だったためそれまで気にも留めずにいたが、どんな歌だろうとソファに腰を下ろしてゆっくり歌詞を追いながら聞いてみると、今の20代、30代、あるいはそれ以上の人が抱く不安や切ない気持ちがよく表れ、それがあの切ないメロディーにマッチしていて思わず聞き入ってしまった。

夫が初めて日本に来た時、成田から千葉へ向かう電車の中で、乗客皆が死んだような目をしていたことに非常に驚いていた。そして、ニュースで流れる自殺の多さに、理解し難さを感じていた。皆がある程度の水準を保っている日本では、少しでもそのレールから外れるとまるで人間失格のような気持ちに陥る。道端で物乞いをする人があっちこっちにいて、屋根のない家などゴロゴロしている国を旅していると、日本はどれだけ恵まれている国かがよくわかる。そこの国では、人々は自分の存在意義やら理想と違う自分がどうのこうのなど考えている暇はなく、とにかくどうやってお金を稼いでどうやって今日、この先食べていくかを必死に考えている。それでも、自分で死んでしまおうとは考えない。

日本はどこもかしこも綺麗だ。それは景観だけではなく、人間の生き方までスマートで美しい.....表面上は。本当はお金が欲しくても、表面上は拝金主義を嫌い、どんなにイヤな相手でも、表面上はフレンドリーに振舞う。そういった心と行動とのギャップが、少しずつ心を蝕んでいるような気がする。生きていくこと、食べていくことは、泥臭い、生々しいものだ。自分の主義主張だけを唱えてニコニコしているだけでは、誰もお金をくれない。拝金主義の何が悪いのか?なんでこんなバカ上司の下で働かなければならないのか?それは食べていくため、家族を養うためにしていること。それらのために自分の主義主張を曲げ、バカな上司の言いなりになる自分のなんと潔いこと!と褒めてあげる。これぐらいのたくましさとポジティブさが欲しい。

『どれくらい値打ちがあるのだろう?僕が生きているこの世界に~♪♪』という歌詞から始まるミスチルのこの歌、外国人の目に死んだように映る日本人の顔は、繊細な若者の心にも同じように映っていることだろう。人生は、映画やゲームのように素敵でもスマートでもない。泥臭く、生々しく、苦しいものだ。人々が、そんな人生をたくましく、ポジティブに生き抜いていくことを誇りに感じ、そこに価値を見出していけるようになればいいなと、この歌を聞く度に感じている。

Jan 6, 2009

申告と不況の狭間で

新年が明けて、参拝ついでのお客さんもいなくなって、いつものゆっくりとした商売が始まったものの、頭の中は大忙し.... と言うのも、初めての税の申告を控え、その資料作りに「HowTo本」やネット検索で猛勉強しているからだ。年末に税務署から送られてきた申告関連の書類を改めて読み直すと、あれもしなければ、これもしなければ、でもあれはどうやるんだ?これはどうするんだ?.... と紐解く度に疑問がわいて、一向に進まない。今年は開業最初の年のため、利益なんて必要経費を削ってしまえばマイナスだが、それでも資料は作成しなければならず、開店前や閉店後に一人でブツブツ文句を言いながら勉強している。

以前旅先で知り合いになったOさんが、実は世界各国を飛び回る優秀な会計士で、『なんなら僕が確定申告やりますよ!』なんて涙が出るほど嬉しいことを言ってくれたが、ここで甘えてはいかん!と、とりあえず自力で頑張っている。しかしわからないことが出てくる度に、彼の顔がチラチラ~と脳裏をよぎる。彼女と一緒に鎌倉へ遊びに来るって言ってたなぁ~。ねぇねぇ、今絶好の観光日和よ~!どう??

年末はここ最近の時代を反映してか、『最近解雇されて.....。』とか、『仕事が減って.....。』など、不況のあおりを受けたお客さんが多かった。しかしあるお客さんによると、こういった不況の時こそ起業のチャンスなんだそうだ。銀行でお金が借り難くても、国が低金利で貸してくれるからむしろ起業し易いらしい。でもこうも不景気じゃ、起業したはいいが売り上げがさっぱりで、またお金借りなきゃいけなくなるんじゃない?なんて笑って話していたものの、あまり笑える話でもない。うちは借金こそしなかったが、貯金がいつまでもある訳じゃなし、どんどん知恵を搾り出して不況対策をしなければ、それこそ申告以前の問題になってしまう。

そうは言っても、目の前の申告事務から逃れられるわけでもなし、来週は「青色申告会」が開いてくれる無料の「決算説明会」。この説明会でアウトだったら、Oさん、宜しくね~!

Jan 3, 2009

没事ル、没事ル!!

天気はいいのに、寒~い鎌倉。
一昨日、昨日に続き八幡宮や銭洗弁天への行き帰りの人々が、破魔矢と鳩サブレを持って店の外を大勢歩いている。銭洗弁天は自宅のすぐ近くにあり、一昨日の夕方、必要なものがあって家に一旦取りに戻ったら、ちょうど家への曲がり角のところで臨時の「焼き芋屋」が開業しており、買い求める客で大行列ができていた。そして昨日の朝家を出る時は、一昨日の「焼き芋屋」さんが開店の準備に追われていた。そして今朝は、もうすでに準備が終わっていて、試食も出ていて、おまけに声まで掛けられた。この寒さなら、正月だけで一年分稼げるかもね.....?

以前1月の終わりに中国の西安を旅した時、中国で「焼き芋」は普通に路上でドラム缶で焼いて売っているのだが、世界遺産の兵馬庸の入り口前でもおばちゃんが売っていて、しかもちゃんと「YAKIIMO」と上手に発音していた。ここへ来る日本人がいかに多いかの証明でもあり、値段も街中のドラム缶に比べると若干高かったが、それでも大きいもので50円以下だった。

ところで、冬の北京は寒い。文字通り身を切る寒さで、帽子を被っていないと頭がガンガンするくらいだ。北京は北京そのものを旅したことももちろんあるが、中国内陸部へ電車やバスで旅する時、とりあえず日本からの飛行機の着陸地点として利用するなど、目的でなく滞在することもよくあって、幾度となく訪れた。初めて訪れたのはもう15年以上も前になり、今ではあの頃と同じ国とは思えないほどの発展振りだ。しかし一歩路地へ入ると、昔ながらの屋台で真っ白い湯気を出しながら、まんとう(日本の肉まんの中身がないようなモノ)やお粥が売られおり、一瞬にして吸い寄せられてしまう。生活する人にとって都会化することは生活が便利になるかもしれないが、旅人は勝手なもので、こういった古いものに憧れる。それにいつも貧乏旅行だったため、高いレストランにはなかなか入れず、安くておいしい屋台は非常にありがたかった。

日本語の『大丈夫、気にしない!気にしない!』、英語の『Don't worry, It's OK!!』、これにあたる中国語が『没事ル(メイショール)』、私の好きな中国語の一つだ。この言葉は、中国の至る所で聞く。例えば電車で子供が隣の人に悪戯しようとすると、『没事ル、没事ル!』、親切にしてもらってお礼を言うと『没事ル、没事ル!』、商品を買ってお店の人が丁寧に包もうとすると『没事ル、没事ル!』。中国人の大らかさ(いい加減さ?)は時に問題もあるが、少々窮屈になり過ぎた日本では、たまには『没事ル』精神で大らかに、いい加減になってみるのもいい。

掃除が行き届かない時に『没事ル』
おかずがぱっとしない時に『没事ル』
休みを上司に咎められた時に『没事ル』
...... ね、便利でしょ??

さぁ、今年もいい年にしましょう!!

Jan 1, 2009

ゆく年くる年

明けまして、おめでとうございます。
新年快楽!A Happy New Year !! タシデレ~!!

あっという間に新年が明けて、あっという間にお雑煮を食べることなく、いつもの定位置で仕事をしております。雨風気にしないで仕事ができると言うのはありがたいこと、と今年も身を引き締めて頑張ります。

さてさて、夕べの年越し、皆さん何してました?

うちは夫がきっと紅白を見たがるだろうと、夕飯がテレビ時間に間に合うように帰宅したら、楽しそ~にK-1を見ていたので、紅白を見たかったわけではないが格闘技で年越しをしたくなかった私は、まずは夫をチビとのお風呂に誘い込み、その間にチャンネルをNHKに変え、二人がお風呂から出てきた後は、最近おもちゃのマイクがお気に入りのチビに歌を歌わせるなどしながら、なし崩し的に紅白のチャンネルを定着させた。

明らかに不機嫌な顔をしながらも黙って見ていた夫も、さすがに我慢できなくなったのか、11時過ぎにはチビとベッドへ行き熟睡。私も一旦チビを寝かしつけるためにベッドへ行ったが、チビが完全に寝たのを見届けた後再びソファに戻り、一人紅白を満喫。何年振りだろう紅白のトリをまともに見たのは、しかも一人で、みかんを食べながら......。趣味に合わない曲も多々あったが最後の「ズンドコ節」は良かったなぁ~、と頷きつつ紅白を終え、さて後片付けをしてお風呂に入ろう、と思ったものの、このままだとシャワーを浴びながら年越しになるから、年越すまでここにいてそれからにしよう!と再びソファに座り直しテレビを見始めたものの、面白い番組がない。う~ん、どうしよう。じゃ、新聞を読んで...... まだ10分もある。ではみかんを1個、まだ8分ある、じゃぁもう1個、まだ5分、ならもう1個、最後にもう1個、と暇つぶしに4個も食べてしまい、お腹いっぱいになりながら一人で年を越した。あまり締まりの無い年越しだったが、今年もお腹いっぱい食べられるだろう、と縁起がいいことにして、新年を迎えた。

明けたと思ったらもう外はすっかり暗くなっており、八幡宮の行き帰りの参拝客の艶やかな着物姿がもう見えなくなっていて、いつもの静かな夕暮れになっていた。

今年も家族皆元気で、少しは景気が良くなって、ついでに夫とあまり喧嘩しないで済みますように.....私次第でしょうが.....。