Nov 28, 2009

摂り過ぎに注意!

爽やかな秋晴れの朝、観光客が続々と家の近くの銭洗弁財天へ向かう中、その人込みを逆走して店に向かった。店に到着すると、今度は前の歩道を続々と、一方向に向かって歩いて行く人々の姿が目に映った。皆同じシールを胸やカバンに付けていて、身だしなみも一様で、列が途切れることが無い。言葉は悪いが、まるでエサを運ぶ蟻の大行列のように、一心不乱に脇目も振らず、前へ前へと突き進んでいく。脇道に砂糖でも置いて、列を乱したくなる衝動に駆られたが、あれだけの人数が同じ方向に黙々と歩く姿は、傍から見るとかなり不気味であった。

最近の映画はCGで人を描くことが多いが、やはり生身の人間の方がずっと迫力が出る。アジアの大草原で、キャストを何千人も動員して撮ったシーンと、PCで数人のキャストを増幅させ、数万人に仕立て上げた映像とでは、その違いは歴然としている。あの蟻の行列さながらの集団の異様さは、一様であってもイコールではない個々の人間が、同じ目的を成すことに不気味さが増していたのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、いつの間にか集団は消えていた。うちの店は彼らの「砂糖」にはなりえなかったようだが、前を見て猛進ばかりしていないで、たまには回り道をしながら、そこらにある砂糖を舐めてみる人生も楽しいよと、彷徨える旅人の私は考えたりしている。

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Nov 18, 2009

微睡

やっと太陽が出てくれたので、家中の部屋干し洗濯物を外へ出し、小走りで店に駆けつけた。店についてからも開店準備でバタバタし、1時間近く経ってようやく全てのことが終わり、椅子に座ってヒーターの電源をONにしてパソコンの画面に向かっていたら、心地良い疲れとヌクヌク感で、だんだんまどろんで来た。

「まどろむ」を漢字で表すと「微睡む」だそうだが、パソコンの漢字変換で出てこなかったので、それほど一般的ではないのだろう。英語だと口語で「drop off 」で、こっちの方がなんだか言い当てているような気がする。

小学校5年生の時、国語の授業で先生が「まどろむ」を使った短文を作るように指示をし、ちょうど給食が終わったばかりの5時間目で、窓から差し込む暖かい日差しと相俟って、文字通り「まどろんで」いたら、見事に先生にあてられて、急いで作った文がやけに好評で、苦笑いをした思い出がある。男っぽさを「売り」にしていた少女時代、うとうとしていて素の少女の顔が出てしまったのか、少々乙女な文章に、しばらく友達からからかわれていた。

夜、本を読んでいると、知らぬ間にまどろんでくる。
気が付くと、ベッドの上で、朝を迎えていた。

・・・・・いつの間にか、私がチビをベッドへ運ぶ番になっていた。

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Nov 11, 2009

水も滴る.....?

夕べ仕事を終えて、10時過ぎに家路に着く途中、突然雨が降ってきた。いつも鞄の中に折り畳み傘を常備しているため、差そうと思えば差せたのだが、しばらく濡れて歩いていた。なぜなら、折り畳み傘が濡れるのがキライだからだ。次に鞄に常備させるために、一度乾かさなくてはならず、広げて乾かしておけば、すぐにチビの刀となって、骨の2~3本は折られてしまう。それに、乾かす行為そのものも面倒臭い。まだまだ、もうチョット..... としつこく粘り、足早に家路に向かったが、あと100mくらいのところでとうとう本格的に降ってきて、渋々傘を広げた。傘を差しても服がビタビタになるほどの土砂降りだったので、これならある意味差さなくても良かったかなと、しつこく後悔までしていた。

以前韓国人留学生に日本語を教えていた時、生徒が貸してくれた韓国映画で、正しい題名は忘れたが「晴れた日には傘を差して」というのがあった。映画の内容そのものはそんなにおもしろくなかったのだが、ヒロインが晴れた日に、傘を乾かすためだけに差す、という行為に大いに共感していた。最近は晴雨兼用の傘も多く、晴れた日にいかにも雨用な傘を差していても、それほど違和感は無いが、当時はまだ珍しい光景だった。今、私が常備している折り畳み傘は晴雨兼用だが、雨の日よりも専ら雨の後の晴れの日に使用されている。理由はもちろん、ヒロインと同じ。

今朝になっても雨は土砂降りで、風も強かったため、骨組みのしっかりしたジャンプ傘で店に向かった。夕べ使った折り畳み傘が、玄関で濡れたままグッタリしていたため、ビニル袋に入れて店まで持参し、今、奥の部屋で広げて乾かしている。チビが店に到着する前に早く乾かして、鞄に入れておかなければ命が無い。

そう言えば私、昔からよく「雨女」って言われていたっけ。
濡れて歩くのは、宿命かもしれない。
シトシトピッチャン~♪♪

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Nov 2, 2009

お互い様

飛び石連休の「石」にあたる月曜日の鎌倉は、寒い朝を迎え、この秋初めてコートを着て家を出た。いつの間にか、そんな季節になっていたんだなと、少しずつ色づき始めた道中の「もみじ」の葉を眺めながら、しみじみ感じていた。

「食欲の秋」と言ってもまだ焼き芋は食べていないし、「運動の秋」と言ってもチビを抱っこしながら、ウエイトリフティング並に腕の筋肉を鍛えているだけで、なんだか秋の風情がない。そのせいかどうかはわからないが、夕べ仕事を終えて9時半ごろ家に戻り、昼寝をしなかったチビが早々に眠りについているのを見ると、なんだか無性に本を読みたくなって、悪戯されないように隠してある開かずの間の本棚から本を1冊取り出し、さっさと食事と風呂を済ませ、寝息を立てるチビのベッドへ潜り込んで読書を始めた。

こんなゆったりとした時間は、何ヶ月、いや何年ぶりだろう。本当はソファにどっかりと座り、温かいカフェオレでも飲みながら読みたいところだったが、夫が大音量でTVを見ていてイラッ!とし、でもせっかくの夜に喧嘩をするのももったいなかったので、カフェオレの代わりにチビの寝顔で癒されながら、「読書の秋」をしばし楽しんだ。

以前モンゴルを旅していた時、ホームスティした家、というかゲル(テント)で、夜は電気も無いのでもちろんテレビも無く、たった1本のロウソクの薄明かりの中で、旦那さんと奥さんがボロボロになった本を、お互い交代で回し読みしていた。当時そこには2歳のやんちゃ坊主がおり、その子に悪戯されたのか本に表紙は無く、数ページが破れかけ、あっちこっちつぎはぎ状態だった。風の音がゴウゴウ唸るだけのゲルの中、暖かなロウソクの光に照らされた本を読むその姿は、なんだかとても神々しく見えた。

気が付けば、うちにもモンゴルの血を受け継いだ2歳のやんちゃ坊主がいた。もしこの本をチビの目の付くところに置けば、数分であのゲルの本と同じ状態になるだろう。違いと言えば、同じモンゴルの血を持つ夫はTV三昧で、私に神々しいほどの魅力は無い、ってこと。

草原は、そろそろ雪の季節。今頃はきっと、ウランバートルの町へ移り住んでいるに違いない。

あ~、揚げ餃子が食べたくなってきた。

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