Aug 2, 2010

ハミウリと少年と私


近くの高級中華料理店で、夏のお勧めフルーツとして「ハミウリ」が売り出されていた。「ハミウリ」は大好きなフルーツの一つだが、美味しそうだと思う前に「ハミウリ」と聞くと、なぜか郷愁を感じる。その理由は、ず~っと以前に読んだ椎名誠の本の一説で、米蘭という砂漠の中のオアシスの村で、少年が顔の幅以上にある「ハミウリ」を頬張りながら、のんびりと家に帰る情景が書かれていた。自分の故郷ではないので郷愁というのもおかしいが、タクラマカン砂漠だの桜蘭だのロプノールだの、いつか行ってみたい所の名前が目白押しの彼の著書の中で、少年があつい風の中を「ハミウリ」を食べながら帰る姿がなんだかとっても愛おしくて、この一説がずっと印象に残っている。

以前勤めていた職場の仕事で、あるセレモニーへの出席があった。行っても行かなくてもいいような仕事だったが、なんとその中の記念講演に椎名誠の名前があった。そのためすぐに同じ係員に根回しをし、係長に出席する重要性を訴え、ちゃっかりと参加した。彼の大ファンではなかったが、私の好きな場所ばかり旅をしていて、しかも感性が似ていたため、彼の旅絡みの本は読破しいつも共感していた。講演会でもきっと楽しい旅の話が聞けると期待して、自由席で皆がほとんど後ろの方の席を陣取る中、前から2番目の真ん中の席にどっかりと腰を下ろし、仕事のことはきれいさっぱり忘れて、ワクワクしながら彼の話に耳を傾けていた。結果は、期待通りの魅力的な旅のエピソードで、帰りの自家用ジープでタクラマカン砂漠まで飛んで行けそうな気分に駆られたのを覚えている。

旅は旅、広大な砂漠や草原に思いを馳せるのは、エアコンの効いた街中の一室でゆったりとしているからであって、そこで暮らす人々にとっては過酷な生活の何ものでもない。でも、エアコンの効いた冷えた部屋で食べる「ハミウリ」よりも、暑くて汗だくになりながら、水分と糖分を身体から欲して食べた「ハミウリ」の味の方が、きっと格別なものであるに違いない。

都会人の空想とわかっていても、高級中華料理店でフォークで食べるわずかな「ハミウリ」よりも、やっぱりあつい風に吹かれながらがっついて食べたいと思う妄想旅人の私である。

posted by 天珠/曼荼羅/仏画の通販・販売 チベット専門店【蒙根ムングン】