Sep 11, 2009

日気

ブログ、というか「日記」と言って思い出すのは、小学生の頃、お年玉で可愛い日記帳を買い、セッセセッセと毎日他愛もないことを書いていたら、ある時(理不尽に)母に怒られて、頭にきて母の悪口を日記にとうとうと書き連ねたら、翌日母が『あんた、何かにお母さんの悪口書いているでしょう!』とアバウトに怒るので、これは日記を盗み読みしたな、と思い、断固白を切り通し、母も日記を見たと言えないため歯切れが悪く、その場はモヤモヤと終結した。その後すぐに鍵付き日記を買いに行き、誰かが触ったら自分だけがわかるようにさりげなく隠して置くと、やはり母が見つけて動かした形跡があり、鍵が開けられず読むのを断念した様子が伺えた。
なんて意地の悪い娘だったんでしょう.....。

仲の良い友人と、交換日記もした。誰かに見られてもいいように二人で50音全てを絵文字に暗号化し、それを使って書いた。まだ小学校の低学年で、今みたいにコンビニで10円コピー!なんて時代ではなかったため、一緒に文字の一覧表を作ったものの微妙に絵が違っていて、書いてある内容が理解できず、また一文字一文字探し出して書くのが非常に面倒で、2回交換して止めた。

中学生の時、クラス担任が強制ではない先生との交換日記を発案した。生徒全員にノートを配り、書きたいことがあるときだけ書いて、ロッカーの日記置き場に入れればいいシステムになっていた。その先生は、自他共に認める敬虔なキリスト教徒で、背広の下にはロザリオを身に着けていたが、大学の落研出身ということもあって、話の上手な人気の先生だった。ある時、先生の授業の中であまりに宗教の話が出たため、当時そういった話を毛嫌いしていた私は、先生との交換日記に『神様のような「すがる対象」は理解できない』みたいな生意気なことを書いてロッカーに入れた。すると翌日、私の書いた日記の下に赤ペンで『神様は「すがる対象」ではない』『今言ってもわからないだろうが宗教とは...... 』という感じで、ビッシリ書かれて返ってきた。

クラスに1人、少々暴れ者の生徒がいた。頭のいい子だったが、授業の途中でも今で言う「キレて」しまうと手がつけられず、先生も生徒も彼がキレないようにと、いつも心の中で祈っていた。ある時担任の授業で彼が「キレて」しまい、猛烈に暴れ始めた。当初は先生も『落ち着け、席に着け!』と口頭で制していたが、彼の怒りが頂点に達して机や椅子を投げ始めた時、先生は教壇の上で両手を合わせ、目をつぶって神に祈っていた。その後彼は、駆けつけた教頭先生と担任と共に教室を出て、授業は自習となった。

今、神様が「すがる対象」ではないことは理解できる。でもあの時、神様に手を合わせるのではなく、その手で彼を抱きしめて欲しかったという思いは、今もあの時も変わらない。

みんな元気かな~?

posted by 天珠/曼荼羅/仏画の通販・販売 チベット専門店【蒙根】