May 11, 2011

生と死と


デジャヴュ、既視感という感覚があるが、チベット仏教の輪廻転生で説けば、これほど簡単なものはない。しかし、科学的には単なる「記憶異常」として処理されてしまう。最近、今更ながらだが、「チベット死者の書」を読み始めた。日本ではテレビ放映され、良くも悪くも有名な話だが、そうなるとテレビ的にイメージを植えつけられてしまいそうで読みたくなくなり、しばらく敬遠していた。ところが、先日偶然図書館で見かけ、手に取って最初のくだりを読んで引き込まれ、チベット仏教を語る上でやはり一度目を通しておかなければと思い、改めて読むことにした。

時間が無くてまだまだここで語れるほど読んでいないが、科学で証明できないものは虚であるという現代の考え方が、科学では割り切れない現代人の心を蝕んでいる、という解説には、これまで心を病んだ多くの人々を見てきて、納得が出来る。人間は、そんな単純なものではない。

死を考えることは、真剣に生きることに繋がる、とも書かれていた。未曾有の大震災で親しい人が亡くなったりなど、死を間近に感じて、今ここで平和に暮らしていることが、ある意味奇跡と思った人もたくさんいることだろう。こういう形で知ることになったのは残念だが、全く分からないまま無為に送る人生よりは、ずっと有意義だったかもしれない。

若くして癌で亡くなった母は、死期が迫る恐怖とどのように折り合いをつけていたのだろうか?癌で余命半年を宣告されながらも、何とか元気に1年を過ごしたお客様。藁をもすがる心情を吐露しながらも、今も格好良く生きている。死の恐怖を克服できたのだろうか?

この本の中に、何か良いヒントがあるといいな、と思っている。

posted by 天珠/曼荼羅/仏画(タンカ)の通販・販売 チベット専門店【蒙根】